そういえば

色々考えてそうなブログ

灰羽連盟について諸々

 ネタバレなしで、といっても物語の概略や人物紹介をどこまでするかつた基準を定めることは難しいが、それなしで作品を伝えられたら自分の気になった物が他の人にも興味を持ってもらえるのに。だってネタバレしちゃったら体験してもいないのにその作品を体験した気がする、ような気がする。それでも実際に見たいし、あるTwitterのアンケートで1万人母体で45%はネタバレおkというツイートを見たので、結局自分が思うようにしか人の気持ちを推測できないのかと寂しくなる。あれ、何の話をしてたっけ?自分は作品を通して疑問に思ったことや気になったことを追求したいから、やっぱりネタバレありありな内容になってしまう、何かを書こうとすると。とにかく、今は灰羽連盟を見終わって思ったことを書こうと思う。

  ラッカの話が中盤でほぼ解決してレキの話が中心になったけど、二人の絡みが好きだったしレキについてもっと知りたかったので10話辺りで中心人物が変わった感じには慣れた。初めて見て疑問に思ったことは、夢を覚えていたのに、どうしてラッカは途中から灰羽が黒くなってしまったか?どうしてあの展開、カラスの骸に会いに行ったら灰羽が元に戻ったのか?だって元々夢を覚えていたじゃん、再確認しただけで元に戻るの?他に、レキは夢をぼんやりとはいえ覚えていたのに、どうして正しく巣立ちできない危険があったのか?

 私は、繭が孵る時の記憶を持って生まれることができるかで罪憑きかが決まる、と思い込みすぎたようだ。また、罪憑きという現象の発生条件に混乱した。クウの巣立ちを悲しんで喪失感に包まれたラッカの灰羽が黒くなりだしたのなら、羽が黒くなることは、悲しみに囚われ無力感を感じることが、祝福される存在として受け入れられないことと関係があると予想した。また、元々通常の灰羽を持つラッカは自分の夢を思い出せたにもかかわらず、クウの一件により自分の感情でいっぱいいっぱいになってしまい、夢に対して遠ざかったからその反動だとも予想した。しかしだとすると、どうしてレキように生まれつき黒い羽を持つ存在が生まれてしまうのだろうか。

 

 ラッカの灰羽が元に戻ったシーンに関しては、軽率に考えすぎたようだ。それは罪憑きの発生にも遡るが、ある考察サイトにて、罪憑きは己の罪悪感により生まれる。と書かれていてかなり納得してしまった。ラッカもレキも夢を正しく覚えていた、しかしレキは罪悪感を持っていたので羽が黒い状態で生まれてしまい、ラッカは救ってくれる誰かを感じた点を重視していたので罪悪感という観点は存在しない。また途中で灰羽が黒くなった現象について、ラッカは楽しいこともつらいことも受け入れて日々を過ごす自分になれない自分に苛立ち、どうにもできないことを受け止めることしかできない無力感による生への諦めをやめられない自分に絶望したのだろうか。これではいけないと知りながらも止めることができないことが罪悪感になり、自らをいらない存在と切り捨てた心を体現したものが罪憑きなのだとしたら、レキが初めから黒い羽で、ラッカが途中から灰羽が黒くなったのも何だか納得行くような気がする。深い井戸から脱出してレキに会ったラッカが、ずっとここにいたい、いさせてほしい、と言ってレキによって受け止められたことで元の灰羽に戻ったのは、罪悪感が無くなったからだろうか。と書いたところで、なんだか自分の感想を見た考察サイトに寄せて行ってる気がするからこの段落は置いておこう。

 

 やはり私は、夢から遠ざかったことでラッカは罪憑きの灰羽になり、夢を再確認したことで元の灰羽に戻ったように思える。悲しみは自分のことで精一杯になってしまう要素として存在し、仲間に気持ちを認めてもらえたことで消えた。でもそうすると、アニメのシーン的にレキとの会話、介護の場面の必要性が薄れるから、やっぱりその考察サイトの方がすごい。レキの羽が黒いのは、夢を覚えていたにもかかわらず内容を受け止められなかったからだろうか。

 灰羽たちはただ生まれる直前の夢しか持って生まれない。言葉も話せるし道具も使えるのに、自分の名前も分からない。存在した自分をさらけ出して拒絶されたレキ、自尊心や臆病心を含んだ愛情を欲する心は満たされず、それとも満たされないことを求めているのかもあやふやになってしまう。満たされるのが怖いのだろうか、満たされることがあるなんて思えないから。満たされるとは心から誰かに救いを求めることだ。

 私は怖い、100%誰かを信じることなんてできるのか?それは私が誰かに100%信じられることを認めることと同じことだろう。私にはそれができるのだろうか?できなければならないと思うことは自分の存在をより確実にするだろうが、私にひびが入った時にそれは罪悪感へと変わる。できない自分はだめだ、そう思うことが続いたのなら。

 どうして自分は自分であらなければいけないのだろうか。自分でしかいられないから。そう、自分でしかいることはできないから。ラッカが幾らレキには彼女を大事に思う存在がその周りにいると知ったところで、それはラッカから見た世界であり、レキはレキ自身でそう思わなければ何も変わりはしない。しかしラッカのような存在がいることでレキは問うことができる、私はいてもいいのだろうか、と。