そういえば

色々思ってるブログ

平手さんの脱退について考えがまとまらないので吐き出させてください

 本当は分かっていた。平手を映す時間が増える分、他のメンバーは映る時間が少なくなることが。映ったとしても振付が激しいから顔がよく見えなかったりすることが多いのが。貴重な若い時の大事な時間を費やして、でもその努力が全く見えないのなら、何のためにがんばるのだろうか?

 平手には、たくさんの気持ちをもらった。ありがとうとしか言えない。またそれしかできない。それでも、もっともっと見たいという気持ちが、ファンのそうした気持ちも、このような結果を作り出した一つの要因だろう。紛れもなく、彼女は一人の特異点だった。少なくても私にとっては、そして状況を見る限り他の多くの人にとっても。

 私はほっとした気持ちも持っている。東京ドームや紅白の不協和音で、推しメンの叫びを聞いて、これを言わせている自分たち、こんなパフォーマンスを見たいと願う自分たちにつらくなった。しかしそれは紛れもなく自分なのだ。また、これまで散々彼女を出演させといて、そう思うのはもはや卑怯なことでもある。

 彼女のけがを心配するのと同時に、いつか卒業が待っていると覚悟していたのと同時に、もっと欅坂にいる彼女が見たかった。でもそれは、他のメンバーを犠牲にすることに繋がり、また彼女にも肉体的・精神的に圧力をかけることが、同義になってしまうのだ、どうしても。どうしてだろう?そうでなければならないできないその一瞬一瞬のパフォーマンスに僕らは魅せられたのだから。だからいつもその一回が、一回きりの、最初で最後の機会だという気がしていた。

 もっと彼女を映してほしいと思う自分が嫌だったし、映ると喜ぶ自分も嫌だった。でも、それでも見たいと思っている自分にも苦しかった。それは彼女たちに犠牲を強いることだったから。

 

 

 ここからは推測だ。一か月前のsolで、友梨奈ちゃんは仲が良い保乃ちゃんとsolに出ようと楽しそうに話していた。また、9thが決まった時も、いい作品ができるようにしたいと話していた。だから、先月のsolから今月までの一か月で、何か大きなことがあったんじゃないのかと思う。欅坂に貢献したい、メンバーを大切にしたいと言っていた友梨奈ちゃんにグループを離れさせるきっかけになった出来事が。分からないけど、分からなくていい。メンバーやスタッフさん、お仕事で関わった人たちのコメントで、平手はとても真摯で周りのことを考えている、というものをよく見かける。

 推しメンが欅を離れることについて私が言うことは何もない。ただTwitterで見かけた「僕はついていけるだろうか、君のいない世界のスピードに」という久保帯人先生のキャッチコピーに泣いてしまった。また、角を曲がるを聞いていたら2番がメンバーから再生されてまた泣いた。

 平手友梨奈さんに出会えて本当に嬉しかった。人との関わりが下手な自分として、彼女もとい彼女が率いてくれたチーム欅坂は、孤独な時や悲しい時に寄り添ってくれて、励ましてくれた。本当にありがとう。

 私は、彼女しか目に入らない自分や、彼女がライブにいるかいないかで一喜一憂する自分を嫌悪していた。他のメンバーをないがしろにしているみたいで。だから、正直疲れていた。なぜか運営は直前にしか欠席連絡をせず、だからといって彼女たちに文句を言うのも絶対に違っていて、途方に暮れることしかできず、そのことでも疲れていた。でも、それでも彼女が万が一いたら時のことを考えて現場へと向かっていた。4年も、こんなに長い間、ずっと第一線として一番先頭に立っていて。欅のメンバーは本当に人としてたぶん素晴らしい人が多くて。でもセンターというプレッシャーは一人にしかかけられず、どれだけ助けたくても、限度がある。反対も同じで、どれだけ後ろのメンバーを気に掛けようと、カメラは容赦なく埋もれさせる。誰かを犠牲にすることで誰かを引き立たせているのは、よく考えたら別グループ同士のオタクが罵倒し合うことより前に、この部分から既にそうなのかもしれない。

 でも正直、平手の存在はたぶんあまりにも大きすぎて、ずっと欅坂にいるとしたら、どんなに他にセンターができる人がいても、彼女がセンターになってしまうんじゃないかと思っていた。9thのフォーメーションを見た時、運営は2期生を育てて、10thからは2期生をセンターにするのかもしれない、その時に平手は卒業をするのかもしれないな、と思っていた。このように欅が、主人公一人を作って演劇のように歌をパフォーマンスする形態が成り立ったのは、その形態がウケたからで、それで人気があったからだろう。だから路線変更をするとか試してみるとか、別のメンバーをセンターにしてみたほうがいいのでは、という声もずっとあった。

 何か撮影しているという話も聞いたので、もしテレビに出るような仕事をしているのなら、まだまだ目にする機会はあるのかもしれない。では、どうしてこんなに悲しいんだろう?たぶんそれは欅坂にいる平手友梨奈が見れなくなるからだ。それはいつか訪れることであるとしても。

 でも、彼女が魅せてくれた4年があったことはずっと変わらない。私が好きになった2年半、その間に、彼女の活動を追いかけられたことはとても幸せなことだった。私の人生でそれをさせてくれて、本当にありがとう。夢中にならせてくれて、寄り添ってくれて。そして期待をしすぎてしまって、重圧をかけてしまって、本当にごめんなさい。

無題

 魂の傾向は性別とも体の強さとも関係がないと思う。それはどれにも惹かれるかもしれないことでもあるだろう。誰かから好反応を示されてそちらに傾くことはたぶん多い。だから、偶然とか環境で、何かが好きで、そんなに嫌いじゃないとかが出てくるかもしれない。どんな能力も生かせる場面が一つじゃないだろうから。

 魂という言葉は便利で、そんなものはないと思う。あるのは体と脳を繋げるために構築された「私」がいるだけだ。でも、人との関わりはないときっと死んでしまうだろう。

 本当の本当に、自分の好きなものは何となく続けていった結果であったり、嫌なことをさせられた時にそれを嫌いだと認識したものを避けていった結果かもしれない。でも、この世界に対する好奇心は、人間共通なものだと思う。

好きなapp音ゲーについて気ままに話す

 appの音ゲー楽しい。最初はスクフェスやバンドリから始めて、その内CytusやDeemoをするようになって、今はDynamixやOverRapidを楽しんでる。それにしても音ゲーの種類とても増えたね。好きなappについて話したくなったので書く。

 

 バンドリ/ガルパ

 5人組の女の子でバンドを組み、計5組25人が成長していく的なストーリー。カバー曲がすごくよくて、アレンジもしっかりしてて歌声も曲に合わせて作ってる。オリジナル曲はあまりやらないけどマルチで当たってやるとふつうに楽しい。一番いいのは譜面がきちんとしていて、難しいものまである。あと女の子たちの日常生活、1コマ漫画まで人物設定がしっかり練られていて、けっこう笑えるしほのぼのする。ガチャも絵が良い。

 

 Dynamix

 3方向から流れてくる、と言うと難しそうになるけど、違うリズムを同時に取るのはそれでそれで楽しさがある。ひたすら捌く譜面もあるけど、私は色んな楽器のリズムを再現してるような譜面が好き。めっちゃノリノリになれるから。たぶん一番やってる。あとなんか頭がよくなりそう(笑)

 

 OverRapid

 シンプルだけど楽しい。判定をhardにしたらめっちゃgreat出た。それでリズム感がより一層鍛えられた気がする。押した時のエフェクトがかっこいい。背景もデザインも近未来感あって好き。ただ前海外で起動したらデータが消えてしまったし、説明がなぜか韓国語の時があってシステムが少し心配。

 

 Beattube

 サービス終了してしまってめちゃくちゃ悲しい。今でもYoutubeで投稿動画見てる。やり始めたのが去年12月末、サービス終了まで1週間ぐらいの時だった。だから初めから無期限でできて嬉しかった。Beattubeがすごいのは、ノーツの種類が豊富。スライドは方向があるし、スライドラインは自由に動かせるし(自由すぎる)。もう一つすごいのはやっぱりシステムで、誰かが作った譜面をプレイできるのがすごくいい。色んなレベルがあって、同じレベル帯でも色んな譜面があって、色んなリズムにノるの超楽しかった。思わず笑っちゃうような譜面や、よくできてるなぁと感心するものまであった。タップ音が好き。

 

 Malody

 悲しみのBeattube終了を乗り越え(てないけど)、自分で譜面作れて配布出来てランキングもある、というこのアプリをダウンロードしてみた。あんまり評価欄よくなかったけど、ふつうに楽しいじゃん!!たぶん機能が幅広い分、問題も出やすいんだろうね(アップロードのファイル形式だったり、うまくダウンロードできないとか)。このアプリのすごい所はモードがたくさんあって、太鼓の達人スタイルやjubeatスタイル、4レーンやブロック崩しみたいなスタイルまである。元々あったのかもしれないけど、初めて知った。音ゲーのすごい所は色んな曲が聞けるところ。しかもすごくいい曲がたくさん。歌詞のある曲かクラシックしかほとんど聞かないし知らないけど、音ゲーをするとめっちゃ色んな曲があるんだなって思う。それの影響かゲームする時でもBGMいいなと思うことが増えた(でもそれはゲームの全体的な質が上がり、BGMにもオーケストラの演奏や有名な歌手の曲を使うようになったからかもしれない。または、メディアでどれだけゲーム会社が音楽に力を入れているかといった記事を見たから意識下で注目するようになったのかもしれない)。Malodyは曲のタイトルとジャケット、スタイルしか表示がないけど、何となくダウンロードしてどんな曲なんだろうかとわくわくしながらできるのが楽しい。あとタップ音が好き。

 

 

 あんまり好きじゃないappについて。アプリを貶めたいわけでは決してなく、ただ自分がどうしてあんまり好きじゃないか考えるのは、けっこう面白い。

 

 Deemo

 眠くなる。音ゲーには繊細さがめっちゃ要求されるのに、判定レーンがめっちゃ見づらい。あと気が付いたけど、加速してくる落下が苦手。perfectのオレンジ色とそれ以外だった時の黄色が見分けつかなくて、叩けてるのかが分からない。そういえばMalodyでDeemoの曲やったらすごくいい曲だった。たぶんインターフェイスがあんまり好きじゃないんだろうな。モノクロで影の強弱で色付けたようなぼんやりさが。

 

 Cytus(1,2)

 永遠に上下するレーンを追いかける自分の指がなんか虚しい。レーンを一生懸命追いかけて一緒に上下するの腕だるい。あとストーリーがだるい、長い。でも曲がいい。The Sparkを初めて聞いた時に即買いした。

 

 

 真ん中ゾーン。好きでも嫌いでもない音ゲーたち。

 Arcaea

  加速してくる落下・・・。でも長押しは絵を描いてるような軌道がたくさんあって面白い。ただワールドマップ進めるのだるい。パック買っても最初から全部できんのかーい。

 

 RAVON

 最近発表された。Dynamixのような3方向で、画面はjubeatのように正方形に区切られていて、その区切りでタップする場所を分けている。押した時のエフェクトが微妙。中途半端に爆発して終わるというか、人工的な感じがする。これからアップデートがたぶんあるから、色々変わるのかも。

 

 Phigros

 荒ぶっている。面白いんだけど、あまりにレーンがブレブレする時があって目の疲労度が半端じゃない。x-y軸がいろんな角度で回転したり移動するの幾何学ぽくて好き。

 

 余談

 音ゲーを120%楽しみたくてiPad proを買ったからかもしれないけど、特に遅延もタップ音が合わないとかの問題もない。アプリの評価欄見るとメアドの登録の仕方が分からないからとか、ある音ゲーの画面に慣れたから同じ大きさにしてとか、で評価を落としている人がいる。それが悲しい。メアドの登録は少し調べればできると思うし、慣れは自分の中で好き嫌いの基準になるとしても要求するものじゃないよ。ただ端末によって反応しないのはつらいし、これだけスマホの種類が増えてOSも増えて、どれでも最高のパフォーマンスを実行するのは本当に難しいね。

無題

 オーストラリアの山火事の悲惨さをちっとも分かっていなくて、今になって何とか認識しているけど、さっきまでの自分のような人が、日本人のほとんどなんだろう。もう地球を大事にするためには一人一人の意識を変えなきゃいけなくて、でも産業の、環境を破壊してものを作り出す速さは人間の倫理力なんかを遥かに越えているので、到底無理な話ではないかとしか思えない。また国ごとに意識のレベルが違くて、例えば欧州や北米では大規模な環境保護デモが行われたが、日本や中国、また他のアジアの領域では起きたのか?しかし、そういったデモをした国々は、そうするだけの余裕があったからで、遡ればアフリカや南米を植民地にして踏み台にできたからこそ先に栄えることができたのだ。いくら人々が反省しようとも、その彼らの生活を成り立たせている様々な企業は相変わらず安い労働力を求めて、利益を上げ続けるために非人道でも環境破壊に繋がるとしても、自らに有利な法律をでっち上げる。ある人間の中に優しさが多く含まれているのなら、その人らは抗議をしたり、生物を保全する試みを広めたり、悪意が感じられる試みから遠ざかろうとするだろう。しかし、それらの人がいくら無害だったとしても、わずかな人々がいるだけで遥かに有害が世界に撒き散らされるのだ。何故なら、無知で無関心な人々の方が明らかに大多数を占め、僕やあなただって、何も考えずに生きていけばいいやと必ず思うことが、そうでないことより多いのではないか?愛や正義の行使がこれほど難しく、欲や怠惰に簡単になびく不完全なヒトという種が、自らが生存する星さえも危機に陥れることができるなんて、この現実こそまるでディストピア小説みたいだ。

久々に勉強した

 最近見ているYoutuberで、いつも勉強している人がいる。彼は一緒に勉強しようというタイトルで、ライブ配信をしたり、大学生活の動画をアップしている。

 分からないという感覚を思い出した。書かれている日本語が分からなくて、自分の言葉にしようとするとつっかえてしまい、納得いかない展開が数か所もできる。どうしてこの答えになるんだろう、どうしてこの解き方を思い付けるのだろうというか、どうして何となくでもこのやり方でやってみようと思い至れたのかが全然分からない。その時に、こうして解答を続けられるのはとても楽しいことで、そして人によって感じられる楽しさが違うのかもしれないなあと思った。楽しさに上下はなく、全くなく、ただ比較的限られた人々の間で共通する楽しさがあって、でもそれらは楽しむために一定の能力や努力がいるといったものだ。でもそういう人たちだってゲーム(コントローラーを握る系の)をやって楽しくないわけではない。ただ、楽しみやすいものと楽しむのに労力がいるものがあるのは確かだ。

 どうしたら分かるようになるのだろうか。納得するとはなんだろうか。その一連の答えを見た時、なるほど確かにこのやり方がいいな、と思ったり、定義を自分の言葉で再現できたりする時だろうか。どうしてこの解き方をしているのか、どうしてこれでいいと思えるのか、それも分からない。数式を信頼することができない。どうしたら信頼できるのだろう。これで証明ができたのだとどうして言えるのだろう。分からないことばかりだ。

 分からないことを分かるようになるのと、分かりやすいと思えることを通してさらに深く分かるのでは、どちらの方が楽しいのだろうか。けっこう違う楽しさなんだろうか。

FNSの避雷針最高にかっこよかった

 それが確かにあったとしても、誰の目にも止まらないならそれはないこととほぼ同じになってしまう。それが自分の行動ならともかく、誰かの目に留まるためにしていることであるにもかかわらず誰の目にも入らなければそれはないと同じになってしまうし、そういったことを目的として生活の大半をそれに費やしているのなら、なんとつらいのだろう。

 欅ほど、カメラに映らなかったその一瞬は永遠に戻らず、また永遠に再び見ることもできず、まるでないことと同じようなことになってしまうことを実感するグループはない。平手が真にその瞬間に自分が意識していることをやっているのだという今までの積み重ねにより、彼女が美しく見せてくれるその一瞬の価値の無限大さをよく実感するようになった。だからこそ、いくら彼女が自分からそういう風に見せても、それを届ける人がいなければ永遠にそれは手をすり抜けて最初から蜃気楼のような透明だったもやのように消え去ってしまう、そのことがとてつもなく悲しい。それは、あまりにもひどい。美しい瞬間なんて、元よりそれほどないのに、それを見せるための場所に立っていたとしても、見たいと熱望する人がいても、それが誰の目にも留まることなく一瞬後には消えてしまうことが。見逃してもいいから、最大限に見ようとする努力をしなければならない。その一瞬の中には神がいる。それは私にとっての神で、私はそれを平手の演じる姿の中に見い出した。だから欅のライブに行くことはキリスト教を信仰する人々が日曜に教会へ行くようなことだし、イスラム教を信仰する人々がはるばるからメッカに訪れるのと同じようなことではないかと思う。

 

 平手がただ平手のままであることはよくあるし、それが当たり前だ。そんな頻繁に宿らない。これは、この世界、というより私が未熟であるために平手の助けを借りなければ神性を見つけられないからとも言える。この世界のどの瞬間もきっと神がいて、だから永遠にそれはいるのだろう、と頭の中ではなんとなく思っている。この世界が何なのか、なぜ今しかないのか、そんな問いに対して今ずっと何かを言うことができない。でも少なくとも、彼女の中にすばらしく揺さぶられるものを見た時、自分は生きているんだと、この世界で、ある一つの他者と確かに関わっているのだと本当に思えるし、その思いの瞬間、私はどんな問いだって頭から吹き飛ぶのだ。そして、そうして生きることが真に生きているとも思うのだ。

 なのに、それでも、何とか少しでも何かを分かることができないか、ずっとずっとそう思い続けて生きている。どこまでいってもヒトの物差しで、ヒトの感覚の中でしか認識も考えることもできないと、漠然と思うことができても、それ以上が分からないからぼんやり思うことしかしていない。茂みに分け入れば、様々な分野や思想、捉え方があって、それらは私を魅了するが、落ち着いた時にそれとなくそれらから距離を取り、自分が全部だと思えるぐらいのものがきっとすべての輪郭の中ではわずかな塊でしかないのだとやはり思うのだ。

 

 もう永遠に知ることができないんだという悲しさが、欅を見る過程で怖くなってしまうぐらいにある。平手の挙動の一つ一つ、そのどれもがかけがえのないものだ。感情のグラデーションがその空間や雰囲気の中で細々に変化し、パフォーマンスを色付かせる。彼女のパフォーマンスを通して、私たちは彼女が今どんな気持ちで、どんなことを思いながら生きているのかと知ることができる。それは、どんな言葉よりも真っ直ぐで、だから時にこちらが取り乱したり傷付いたりしてしまうこともあるけど、それは大抵、彼女がもっと傷ついている時なのだ。人間の奥深さ、優しいとかという言葉だけでは到底表すことのできない複合的な何か、その分けきることができないようなグラデーションが彼女を彩っている。誰かを気に掛けたいけどできない、そんな自分を許せないけど変われない、そして次の時では何もかもができそうで、自分をいくらでも好きに動かせるような気もする。それらが同時に現れるのなら私たちは気難しげな顔をしてしまうだろう。そしてそれらが別々に分かれる時、人間というものがいかに欠陥のあるものかが目に飛び込んでくる。彼女はそんな自分も隠さない。彼女は、人に見られることが無関心なように思える。相手がこれを見てどう思うかなんて、気にしないと口では言っても気にすることが多いはずなのに、気になるけど気にしても仕方がない、と思えば実際に気にすることをやめる。それは誰もができることではない。それが、精神的背骨といったものだろうか。そういう所がとてもかっこいいと思う。

日本の不寛容さをあぶり出す対話集<この国の不寛容の果てに>

この国の不寛容の果てに:相模原事件と私たちの時代

この国の不寛容の果てに:相模原事件と私たちの時代

 

 障がい者精神病者は「生産性」がなく、国の財政が「緊迫」している中では、命の選別も仕方がない。

 これは昨今メディアで取り上げられていることであり、大勢の人々が否応なしに受け入れているストーリーになっている。では、そうした考えが共有される日本はこれからどうなるのか、また今それによってどんな影響が広がっているのか。
 雨宮さんが様々な人物と対話をし、2016年に起きた施設職員が知的障がい者施設の入所者を19人殺害した相模原事件について、犯行者について、そこから日本という社会、命のあり方について議論を深める。

 

 

  命の選別は必ずひるがえって自分たちの首を絞める。

 植松被告がむしろ受け応えについては礼儀の正しい人物であり、一方で国の迷惑になる者を消すことができてよかったという思考に一貫していること。出世のプレッシャーにさらされ、弱みを見せない方がいいとされる男性の働き方や私生活における息苦しい重圧。またそれによって生まれる女性や子どもへの妬みといった話題も繰り広げられる。

 他にも、当事者による対話が大切であることや、精神疾患の人々に薬ではなく人間関係を持って接することの大切さも語られる。また、医者と患者という上下関係が感じられる関わりから対等になるよう対話をすることが大事とも。

 不寛容を生み出しているのは上記のような個々に対する圧力、または不満(正規と非正規の差、低い賃金など)、他人に迷惑をかけてはいけないという価値観、そういったものが土壌にあり、そこに、「生産性」がない人間は無用であり、よって自分は有用であらなければ価値がないという種が植えられる。やがて「無用な」人間はいくらでも批判していいことになり、自分で何とかできなくても仕方がないと言われるようになる。

 

 私たちはいずれ年老う。それを生産性が無くなると恐れるのは、本当にとても悲しいことだ。また私たちに「生産性」が備わっている時でも、事故にあったり、会社に何かが起きたりして「生産性」が無くなった時、私たちは死んだ方がいいのだろうか。私たちが誰かを「生産性」がないと言って批判する時、それは同時に私たち自身に対しても同じく厳しい制限をかけているのであり、ひるがえって自分らを生きづらくしているのだ。

 生きることに理由なんていらない。死んでいい人なんていない。少なくとも、誰かの生死を決める権限を私たちが持つことはいついかなる時でも皆無であり、誰かの人生に口出しをする必要もされる必要もないのだ。